まだ情が残っていた1年前
七夕に何を祈るかって聞かれたら、迷うことなく
「介護生活が終わりますように」
だった。
散歩の途中にあった神社でも、娘や嫁たちの安産を祈った他は、すべてこれだった。
1年前の私に、今の私の状況が想像できただろうか。
出来るわけがない。
それでも、1年前のブログに目を通すと、
「明日施設に入れたとして、明日亡くなるようなことがあったら、やっぱり後悔するだろうか。それが、今の自分を踏みとどめている」
とある。
まだ情が残っている証拠だ。
姑の介護を引き受けた時は、すべてをリセットしたつもりだった。
リセットしなければ出来るものではなかったからだ。
姑が脳梗塞で入院した時も、どこか冷めていた。
仕事もあったし、簡単には休めなかったこともあった。
仕事を終えてから、片道30分以上かかる病院へ見舞いに行った。
もうすでに義弟嫁が世話をしていた。
毎日、通わなかった。
詳しい話も聞かなかった。
義父が亡くなったときのトラウマがあって、どうせ嫁には詳しい事なんか話してくれないだろうという気持ちもあった。
入院して1週間ほど、義弟嫁は仕事を休んで甲斐甲斐しく世話をしてくれたのだ。
心のどこかに、やってくれる人がいるんだから、甘えておこうという気持ちもあった。
娘にまで
「お母さん、おばあちゃんの見舞いに行かなくていいの?」
って心配されるほど、私は冷めていた。
もう完全に私だけみんなとは温度差があり過ぎた。
入院してすぐに、危ない時期もあった。
それもすべて乗り越えて、今の姑がある。
だから強い。
大事にされて当たり前的態度がそこで出来上がっちゃった。(笑)
みんな猫なで声。
優しい。
一人、淡々と世話する嫁。
よもや、自分の身に介護が降りかかってくるなんぞ、爪の先も思っていなかったころだ。
結局、ヒトトシテとるべき道を選択したってことになる。
そして流れた10年と言う月日。
私を取り囲む環境も大きく変わった。
そして、何より姑に対等にものが言えるようになった。
ここは義弟嫁には真似できないところ。(笑)
施設に入れるにあたっては、もちろん私にだって葛藤はあった。
ここまで頑張ったんだからという自負。
あと少しなら頑張れるかもしれないと言う自分への期待感。
いや、現実はもっと苛酷だった。
だから今は何の後悔もない。
夫とて、同じだと思う。
やるべきことはやった。
1年前は模索の毎日だったんだな~って、苦しい日々を顧みてみた。
Source: 鬼嫁介護日記