自分の運勢が気になるとき

私はあまり「占い」だとか「運勢」なるものには特に興味があったわけではないが、アメブロの運勢には時々目が行く。

特に「1位」なんて文字を目にしたら、「なになに?」ってな具合だ。

 

最近、「1位」でなくても、書いてある内容に目が奪われる。

 

例えば、

「あなたは周りの人に支えられている」

「本質を見極めていく目が養われる」

 

などといった内容だ。

 

昨年の私は、間違いなくたくさんの人に支えられ、感謝した1年だった。昨年末は特に、ナニサマの突如のリハビリ入院に始まって、これから先、在宅介護は可能かどうかに至り、私自身、ブロ友さんたちからの強い後押しがあったおかげで、次のステージに進むことが出来たわけですから。

 

嫁の立場ってやっぱり難しいですよね。

 

「鬼嫁」だなんて自称していながら、いざとなると鬼嫁になり切れない自分がいるからだ。

多分恐らく、私と同じ思いの嫁様はたくさんおられることと思います。

 

面と向かって夫に物申しても、実子である夫の立場と嫁の立場では温度差が大きすぎる。

嫁にとって一大事なことでも、夫にとっては「それがどうした」みたいなことは多々あるわけで、特に「姑問題」に関しては、デリケートである。

夫も、嫁の立場はどこかでわかっているのだろうけど、自分を育ててくれた母親を蔑ろにすることも出来ず、結局不快か曖昧な態度を示して、嫁のストレスを増長させるだけというのがお決まりだ。

 

そもそも、なんで母親は息子に執着するのかわからない。

 

私にも二人の息子がいるけれど、結婚したらもう完全に子離れですよ。夫婦仲良く暮らしてもらいたいと願っても、「嫁より母親を大事にしろ」なんていう考えはあってはならないでしょう。

 

いつまでたっても息子に猫なで声を出す母親なんて、言語道断。

 

親を大事にするその気持ちは大切だ。

だけど嫁に負担をかけなくてはいけない状況になったら、そこは切って捨てなくてはいけないと思う。

それは親を蔑ろにすることではない。

お互いのストレスを解消する手段に他ならない。

どうしてもそういう状況になったなら、嫁へのいたわりと労いを忘れてはならない。

愚痴の一つも聞いてやるという寛容さを持ち合わせない亭主なら、ゼッタイ嫁に負担をかけてはいけない。

 

いつまでも母親というしがらみにがんじがらめにされているご亭主殿たちよ、健全な夫婦関係しいては人間関係がいかなるものかを学ばれてはいかがか。

Source: 鬼嫁介護日記