親にとって子供は絶対か
ナニサマの面会に行ったとき、赤ちゃんの写真と同時に、先日富山に旅した時の夫と義弟のツーショットの写真を見せてあげた。
ナニサマ、初めは???という顔していたが、ようやく義弟を認識して
「これ○○(義弟)だね?」
と指さした。
「こっちはだれかわかるか?」
と自分を指さすと、ナニサマが珍しく笑って
「○○(夫)だわね」と。
「一緒に飲んだの?」
「そう」
ナニサマ、息子たちが仲良く飲んだことに満足そうだった。
やっぱり母親だよね。
兄弟が仲良くしていることは嬉しいはずなのに、このバアサン、二人の仲を裂くようなことを平気でやったんだから。
夫の知らないところで、義弟と画策し、夫を裏切るようなことをしたあげく、バレたら知らぬ存ぜぬを貫き通し、結局は夫と私に世話になってしまうというちゃっかりバアサンでもあった。
おかげで長いこと、私たち夫婦は義弟にわだかまりをもったままだった。それを知ってか知らぬか、ナニサマは最後までしらを突き通した。
その根性はみあげたものだわ。
それでも何があろうと、母親の存在は息子たちにとっては絶対的存在である。
だが、母親にとって、息子たちは絶対だったのだろうか。
私にも二人の息子がいるが、まったく性格の違う息子たちである。
お陰様で二人は仲が良くて親としては嬉しい。
仲がいい理由の一つに、次男の性格がある。
喧嘩もするが、基本、次男は兄である長男のことが好きである。
優秀な兄が自慢でもある。
次男のいいところはコンプレックスを持たなかったところだ。
次男のおかげで、きょうだい3人が仲良くいれると思っている。
私にとって3人の子どもは、絶対的存在である。
愛おしい存在でもある。
子どもたちが幸せでいてくれることが、私の幸せだと思っている。
そんな長男。
今、孫くんとの二人生活のようだ。
幼稚園に通う息子のために、弁当を作っているそうだ。ビックリ!
小さい時、私の父にソックリと言われた長男。
長男がまだ歩けない頃、毎日のように夕方になると父が長男を抱いて散歩に出かけてくれた。ぐずる時間帯だったが、父のお陰でぐずることはなかった。
そんな子(孫?)煩悩だったおじいちゃんに似たかもしれないね。
DNAは脈々と受け継がれているってことですかね。(笑)
やっぱり絶対なんだと思う。
Source: 鬼嫁介護日記