在宅介護を続けるなら・・・
在宅介護を引き受けた当初の自分の気持ちを思い起こしてみた。
意気揚々としていた。
決して嫌々引き受けたわけではなかった。
ヒトトシテの責任感と奉仕の精神に満ちていた(と思う)。
ナニサマが「あれしてこれして」という要求はすべて呑んでいた。
足が冷たいと言えば、湯たんぽを入れてやった。
頭を冷やしてと言われれば、すぐにアイスノンを置いてやった。
アロエが食べたいと言えば、アロエを買いに園芸店に走った。
なければ、知り合いにもらいに走った。
そう、あのころは、
「NO!」と言ったことがなかった。
介護にいそしんでいる自分に酔っていたのかもしれない。
そんな無理無茶な日が長く続くわけがない。
そう、「要介護者本人の満足のみを介護の絶対的基準に置かない」
ってことが大切なんだってことを思い知ったのだ。
自分たち介護する者側の満足度も考えなければ、到底長続きするものではない。
要介護者への同情は無用。
ワガママを助長させるだけだから。
どんな状態であっても(寝たきりになってしまったら別だが)、自立させること。自分で出来ることは時間がかかっても自分でやらせること。
我家のナニサマは、介護当初、何一つ自分でやろうとしない、多分やれなかった。
着替えもすべて私がやっていた。
それをまず自分でやらせることから始めた。
初めは「出来ない」を連発していたナニサマも、手を貸さない夫婦に諦めたのか、最終的には自分で着替えが出来るようになったのだ。
これは大きな進歩だった。
朝早くから起こされなくなった。
そうやって自立させることで、ナニサマ自身、心も明るくなり、「死にたい」と言うことも無くなり、少しずつ自分でやれることを増やしていった。
今思うと、それがナニサマの寿命を延ばした要因になったと思う。
それでもこちらがちょっとでも気を緩めるとすぐに甘えた。
手を貸すと、すぐにやってもらうことが当たり前になった。
それとの闘いだったような気がする。
在宅介護を続けられておられる嫁様、決して甘やかしてはいけません。ゴチャゴチャ言われるくらいならやってあげた方が面倒くさくなくっていいやなどと決して思わないこと。
つけあがらせるとどこまでも・・・が年寄りの特徴です。
でもね、やつらは実に巧妙だ。
嫁をこき使うのはお手のもの。
嫁は、義親に対していい人が多いから、だから可哀想なんだよね。
わかってもらいたいね。
Source: 鬼嫁介護日記