息子にとっての母親の存在

痛ましい交通事故がありましたね。

事故った車の一台が、あろうことか園児の列に突っ込んでしまうというあってはならない事故のことです。

またまた幼い命が奪われました。

親御さんの気持ちを考えると、本当に胸が痛みます。

 

うちの娘は結婚してから5年目にようやく子供を授かりました。

待望の一人息子です。

もしこの子がこんな目に遭ったらと思うと、考えるだけでゾッとしてしまいます。

きっと今までにもこのような事故で亡くなられた園児の中には、奇跡の子もいたのではないかと思われます。

 

そう思うと、私は随分おおらかに子供を育ててきたなと思います。

3人の子供に恵まれたおかげで、一人の子にかかりきっている暇もなく、小学生のころは自転車で走りまくっていた子供たち。

長男も娘も共に、自転車でひっくり返って大けがをしている。

娘は手首を骨折し、長男は顎の肉が剥がれた。

それでも、子供なんてこんなものと思っていた節があった。(笑)

 

こんな事故に巻き込まれることなく、ここまで生きてくれたことに感謝しないといけない。

 

子供たちにとって、この母は冷たい母だっただろうか。

かまっているようでかまっていない、そんな付かず離れずの母でいたいと思っていた。

 

私にも二人の息子がいる。

姑にも二人の息子がいる。

 

少なくとも姑の二人の息子たちは、私の息子たち以上に母親想いであることは確かだ。

私が姑の実態を話そうとすると、二人の息子たちは明らかに不愉快な表情をする。

この場に及んでもまだ母親を美化したいのかとあきれてしまう。

 

だから、10年間我慢せざるを得なかった、ともいえる。

 

私は、息子たちがいわゆる社会的に認められた存在であれば多くは求めないつもり。(あれ?それで充分?)

 

姑は私以上に息子たちに多くを望んだ人だと思う。

だから、息子たちは頑張ったんだと思う。

こんな人たちと闘うこと自体、間違ってるよね。(笑)

 

ただ心配するとしたら、一人息子の孫くんの存在。

そして息子を思う娘の存在。

二人いたって男の人は「マザコン」になりやすいからね。

心配したって仕方ないことだけど。

Source: 鬼嫁介護日記