川崎殺傷事件の波紋

人の命の尊さを前のブログでも書きましたが、社会福祉士で大学の准教授でもある藤田孝典さんの記事もその時紹介した。

 

「『一人で死ぬべき』は控えよう」

 

というのが藤田さんの呼びかけだった。

 

私自身は、そのことに特にコメントはしなかったが、実は、自分の心を言い当てられてドキッとしていたのだ。

 

娘と話していた時、私は思わず、

「死にたけりゃあ、勝手に死ねばいいのに。弱い子供を道連れにするなんて、サイテーなヤツだわ」

と言っていたからだ。

 

どうやら、私と同じことを言っていたコメンテーターもいたらしく、だからこそ、藤田さんが警鐘を鳴らしたのであろう。

 

しかし、ことはそれだけで終わらなかった。

 

その藤田さんの記事を巡って、反論を唱える人が出てきたからだ。

 

何より何の理由があってこんな事件を起こしたのか、犯人自身が自殺してしまっては解明は困難になってしまったからだ。

遺族にとってこんな悲しくてつらい事件はない。

恨みたい犯人は、もうこの世にはいないのだから。

なんのために自分たちの大事な子供を巻き添えにされなくてはならなかったのか、まさに無念の一言に尽きるだろう。

 

そんな思いを抱いた人たちの中には、今度は藤田さんを攻撃するコメントが相次いだ。

「薄っぺらい」

「不快」

「ただのきれいごと」

「こういう加害者擁護が犯罪を助長する」

「遺族に対する配慮が欠けている」

「遺族を前にして言えるのか」

etc.・・・・・・・・・

 

そして、極めつけが、文筆家の古谷経衝氏。

「この人の意見に私は絶対反対です。

『死にたいのなら一人で死ぬべき』は正論です」

 

そんなやりとりがある前、私が夫に

「カリタス学園っていったら、私立だよね。いいとこのお嬢さんが多いんじゃない?亡くなられたお嬢さんだって、チェロを習うような裕福な家庭の子だったみたいだし」

「だから襲われたんだよ」

 

どうやら、ただ自殺したかっただけの男だったわけじゃなかったようだ。

 

あの地域はカリタス小学校に通っている子供が多かったそうだ。

なんと犯人が世話になっていた伯父伯母の子供もカリタスだったらしい。その従兄は立派な社会人になっているらしく、引き籠って定職にも就けない自分との差に、どうやら妬みがあったようだ。

 

包丁4本も持っていたことから、完全なる殺意があったと思われるわけだから、遺族はたまらないだろう。

カリタスに対する殺意だったらなおのこと。

あまりの理不尽さに怒りしか湧かない。

 

 

今日も孫くんのお迎えに歩いて小学校に行ったのだけど、通学路を歩きながら、危険な場所がないことにホッとするとともに、この時代、いつ何時何が起きるかわからないと思うと、ゾッとするとともに、この子の命をゾンザイに扱う輩がいたとしたら、私は気が狂ってしまうかもしれないと思ったものだ。

 

そう思うと、やっぱりいたたまれなくなる。

 

 

 

 

Source: 鬼嫁介護日記