悩める友②
悩める友のことを書いたら、貴重なアドバイスが書かれたコメントを何人かの方から頂いて、本当に参考になり、ありがたかったです。
皆さんの中には、同じように心を病まれた方もいらして、それゆえ書かれたコメントにも重みを感じました。
彼女からは返事は来ないだろうと思っていました。
でも、嬉しいことに返事が届いたのです。
私の気持ちが通じたようで、makoの気持ちが嬉しかったと書いてありました。
彼女との付き合いが始まったのは、高一の時からです。
彼女は違う市の中学校の卒業者で、成績優秀で、入ってきたときから注目されていた生徒でした。
そんな彼女が雨が降ってきて、傘がなくて玄関のところにたたずんでいたのです。まだ4月で、話したこともない相手です。
私は傘を持っていたけど、もちろん1本しかありません。
でも困っている人を見たら、声をかけないでいられない私は、
「私の家、すぐ近くだから家まで一緒に行ってくれたら、この傘貸すけど、どう?」
と聞いたのだ。
今思うと笑えるよね。家まで来いって、ねえ。
すると、彼女、嬉しそうにうなづいたのだ。
家に帰ったら、母が
「少し休んでから帰りなさい」
と言って、彼女を家に上げ、お菓子等を出してもてなしてくれた。
すると、彼女、そんな母をいたく気に入ったらしく、母に身の上話を始めたのである。
すっかり私は積んぼ桟敷。(笑)
母はまるでカウンセラーのように彼女の話を聞き、優しくアドバイスしてあげていた。
それから彼女は、すっかり母が好きになり、それからも学校帰り何度か母に会いに来たというそんなエピソードのある子なのだ。
母が病気になって入院したのは、私が高3のとき。
そして私は卒業と同時に、その町を後にした。
父の転勤だった。
彼女は教員一家の中で育てられたので、結局自分も教員の道を選んだ。それも大阪を選んだのだった。家から離れたかったからだ。
らむねさんによると「同和問題」は在日も絡んでいるものが多く、かなりの恐怖感を味わったのではないかと教えてくださった。
今回の手紙で、初めてその時の様子を教えてもらった。
とっさに職場を飛び出して、とりあえず電車に飛び乗ったそうだ。
気が付いたら新潟だったそうだ。
確執のあった父親に電話したら、電話の向こうで父親が泣いたそうだ。
その時、自分は正気を失っていたと回顧していた。
そして初めて、あゝお父さんが心配してくれていると思い、父への憎しみが薄らいでいったそうだ。
それで、彼女は郷里に帰る決心をしたのだと思う。
彼女は、今回の手紙ではずいぶん落ち着いてきたように感じた。
何かのきっかけになってくれたらとの思いが通じたのかもしれない。
心配頂いたブロ友の皆さん、ありがとうございました。
Source: 鬼嫁介護日記