「老々介護」も問題なら「引き籠り」も問題
リンママさんが、「老々介護の現実」とい記事を書いておられましたが、まさにこれは現代の深刻な問題になりつつあります。
我家も立派な「老々介護」に突入してからの卒業でしたが、在宅介護の見切りの難しさを痛感したのも確かです。
体力、気力の衰えを感じながらの介護は、何より心を蝕みます。
それでも「もう止めよう!」と声を上げられないもどかしさ。
心のどこかで「ヒトトシテどうなの?」という悪魔の声が聞こえるからです。(いや、これホント)
施設に入れることは何も悪いことではない。
お互いのことを思ったら、最良の選択だとわかっていても、なかなか踏み切ることが出来なかった最後の2年。
不思議なもので嫌いな姑でも、情が移り、無下には出来ない自分がいました。それが人間なのでしょう。
昨日、富山の叔母に電話を掛けた。
前日留守電をもらったからだ。
今は、息子が定年で郷里に帰ってきてくれているので、叔母も一安心である。
今夏の墓参りのことを伝えた。
姉が体調が悪いので、私たち夫婦だけで行くことを伝えた。
これは、息子である従弟に伝えたのである。
代わってもらった叔母とも話したが、
「あれ、makoちゃんかいね、達者け?」
と懐かしい富山弁が電話の向こうから聞こえてくる。
「私ね、もう認知症が始まったから困ったもんやね」
とサラっと投げかける叔母に苦笑しながら、
「自分で認知症なんて言う認知症の人なんかおらんよ」
と返した。
叔母たちも確実に老いていく。
さて、「老々介護」以上に大変なのが、高齢者の仲間入りをせんとしている息子や娘を世話している老親。
これはもう想像を絶するのではと、胸が痛くなる。
先の「川崎20人殺傷事件」で、新たな恐怖を感じた人もいるのではないだろうか。
職にも就かず、何十年も引き籠り、親の年金で暮らしている人がいるという現実。
この事件を目の当たりにした同じように引き籠っていた40代半ばの男性が、
「あんな事件を起こそうとは全く思わない」
が、
「ほぼ確実に親が先に死ぬ。
親が死んだら、僕、どうなるんだろう」
と、今までぼんやりと感じていた不安が、事件ではっきりと突き付けられたと、言っている。
この彼は優秀な子だったが、学生時代にいじめに遭い、人との関りを絶ち、勉強ばかりして京大に入った。
が、そこで燃え尽きてしまった。
老いてくる母の背中を見て、母が亡くなる前にちゃんと社会に戻れたところを見せたいと思うが、実際は雲をつかむような感じで先が見えないのが現状だとも。
全国に100万人以上いると言われている「引き籠り」。
それでも、居場所を見つけ、笑顔を取り戻した人いるそうだ。
そういう人たちを支援してくれている団体もいくつかある。
まずは失われた「自己肯定感」を持てるようにすることだと言う。
自分でも何かの役に立つんだという力を引き出してくれるそうだ。
引き籠りの多くの人は「鬱」になったりという精神疾患を抱えている人が多いので、まずは治療し、家族会も開催したり、同じように悩んでいる人たちとの交流会を持つことで、糸口を広げていこうとしている。
「老々介護」は、暗いトンネルとは言っても、終わりが見える。
あと何年と、自分を鼓舞することもできる。
でも、中高年の引き籠りは、世話しているほうが確実に先に亡くなるから、老親が哀れでならない。
適切な治療をすれば、地域で自立した生活が出来るようになる人もいるとのことなので、諦めず、希望の光を探してほしい。
Source: 鬼嫁介護日記