所詮「教育ママ」にはなれない
団塊世代に育った夫たちの世代は、まさに競争社会そのもの。
学歴がものを言う時代だった。
結婚条件も「3高時代」。
その一つに学歴が入っていた。
だから、よく勉強した。
親も熱心だった。
夫が言うに、勉強しないと母親が、
「日雇い労務者になりたいのか」
と言って脅かしたそうだ。
ナニサマはもちろんその時代の「教育ママ」だった。
私の母はというと、やはり「教育ママ」だった。
父はピアノを習わせ、スキーを教えてくれたが、勉強についてはうるさく言わず、やりたいようにやらせてくれた人だったが、母はナニサマに負けないくらいの「教育ママ」だった。
母のために勉強し、褒めてもらいたくて勉強したような気がする。
そんな私はどうだったかというと、自分がプレッシャーの中で生きてきたこともあって、子供たちにはそんなにプレッシャーをかけたくないと思ってきた。
私の教育方針は「なんでもできる子」だった。
だからチャンスはいくらでもあげた。
したいものはさせた。
でも結局、何も言わない夫が、最終的には子供たちにプレッシャーを掛けたような気がする。
夫の思惑通りに子供たちはそれぞれの道を進んだからだ。
今日、娘に、
「そういえば、お母さんからは勉強のことあまり言われたことないわね」
と言われたときは、私は「教育ママ」にはなれなかったなって思った。
私たちの世代も、もちろん競争社会だ。
高校時代なんか、楽しんだ記憶がない。(笑)
(これは言い過ぎ。やっぱり高校時代は青春だった)
だけど負けなかったよ。
ツライところから逃げちゃダメだと。
だから介護も出来たんだと自負している。
Source: 鬼嫁介護日記