なぜ勝手な親になっていくのか

昨日のエッセイクラブのお仲間の一人に、いきなり実母の介護をさせられることになった人がいると、前のブログにも書いたことがありますが、その実母さんは、ナニサマによく似た「社会的入院」だったみたいで、ようやく退院することになったそうだ。

 

自分で救急車を呼んで、勝手に入院を決め込んだなかなかのお母さまでいらっしゃる。(笑)

認知症が入って、要介護もついたそうだが、口は達者。

 

軽い認知症になったとはいえ、独り暮らしのお母さん。

彼女にしてみれば、不安だらけだ。

引き取りたくても、家にはそんなスペースもない。

これから先、暮らしていけるのか、彼女の心配は想像を絶する。

 

2カ月も入院していたので、母親の家の冷蔵庫は彼女が行って空っぽに掃除しておいてあげたそうだ。

すると、空っぽになった冷蔵庫を見て、激怒し

「いっぱい食料があったのに、何もない」

と言って、もう、あんたには頼まないと捨て台詞。

病院にいるときは、あなたしかいないと言っていたのに、と嘆く。

結局知り合いたちに電話しまくり迷惑かけて、彼女は包括ケアセンターから呼び出しを食らってしまったそうな。

 

その時のケアマネさんの言葉が

「一人で抱え込まず、一緒に介護を楽しみましょう」

というもの。

 

この言葉に、思わず嫌悪を感じたのは私だけだろうか。

 

私も介護を始めて2年くらいは必死で頑張ったし、頑張っている自分が嫌ではなかった。

変な話、人のために尽くしていることに喜びさえ感じたものだった。姑も、そのころはまだどこか遠慮もあり、可愛げもあったような気がする。

 

しかし年月は、必ずしもいい方向にとは向かわないものです。

やってもらっていることが当たり前になり、要求度も次第に増えていく。

それもどーでもいい要求の方が多くなる。

そして、喜びも次第に薄れ、今や、嫌悪しか感じられなくなっている自分に驚く。

 

介護を楽しめるのは初期だけです。

自分もわからないことばかりで、無我夢中だったってこともあります。

 

10年ってやっぱり長いよねえ。

人の心を変えるには十分な時間でした。

 

なんで、年寄りって、どんどん勝手でワガママになっていくんでしょうねえ。苦労している年代だというのに、心が貧しいよねえ。

Source: 鬼嫁介護日記