介護を模索する
先のブログで、「介護殺人事件」のことを取り上げたら、ブロ友さんたちから様々な貴重なご意見を頂き感謝しております。
介護殺人を起してしまう介護人の気持ちは、介護していた者でなければ理解できないことだと思います。
私の場合は、このブログを逆手にとってナニサマを記事のネタにすることで鬱憤を晴らすことが出来たおかげで、病気にもならず、殺意も抱くことなく介護を終了することが出来ましたが、いや、殺意が全くなかったかと言うと、自信ありません。(笑)
それほど、介護は過酷です。
私のように「嫁姑の関係」は、介護するしない以前のお互いの心の問題がありますから、ある意味厄介だと思います。
だったら、実親子ならうまくいくかと言えば、それもNOです。
介護殺人はむしろ実親子の方が多いのではないかと思うからです。
嫁の立場で言わせてもらうなら、どんなに姑に嫌悪感を持っていたとしても決してそれをあからさまには出しません。
遠慮があるからです。
恐らく姑の方でも、ある程度の遠慮はあると思います。
だから、短い間なら嫁が介護するのが一番ベストなのではないかと思う点です。介護される義親にとっても幸せなことだと思います。
でも、これが長くなってお互いが慣れ合ってくると、実親子より厄介になっていくような気がします。
感情にこじれが出来ると、なかなか修復できないからです。
そこが、所詮は他人だから、というわけです。
介護はもって5年だと思います。
そのくらいの長さなら、まだお互い完全な本性は出ていないような気がします。
今日もTV番組で「男脳」と「女脳」の相違を言ってましたが、女性は察する心が強いから、相手が何を望んでいるのかがわかるのです。
だから介護に向いているのかもしれません。
夫に多くを望むことは所詮無理なのです。
「介護殺人」も、きっと男の方の方に多いのではないだろうか。
こういったニュースは本当に悲しくてつらいです。
だれも殺したくて殺すんじゃないのに、世話しているのに報われない虚しさが襲ってきたら、心は壊れておかしくないでしょう。
それでも国は「在宅介護」を推進しますか?
Source: 鬼嫁介護日記