傲慢だったかな?
「介護はせいぜい5年が限度」
なんて言い切った私ですが、傲慢でしたかね。
それ以上の年月を涙しながらも頑張っておられる方たちはたくさんおられることでしょうに。
そもそも、なぜ在宅介護になっていくのか。
それは子が年老いた親の面倒を看るのが社会の常識だから、と思っている人が多いからではないでしょうか。
我家の場合で言えば、夫は私に強要は一切してない。
むしろ、ナニサマが施設を選んだときは、異を唱えなかったからだ。
まあ、どうしてこうなったかは、もう何度もこのブログに書いてきたのでもう書かないが、結局は嫁の立場で「NO」と言うのは、ヒトトシテ言えるものではありません。
どこかに社会の常識とやらに縛られている自分がいたように思います。
まったく先が見えない介護生活に突入していったのはある意味チャレンジであり、嫁としての使命感に他ならなかったようにも思います。
初めは夫婦二人で協力しながらやっていこうと誓ったものの、細かい世話は男の人ではなかなかやれるものではなく、結局は嫁が手を出さざるを得なくなってしまうというのが実情です。
気が付けば「5:5」だったはずの夫婦の介護割合もいつしか「2:8」くらいになり、どうかすれば「1:9」ぐらいになっていってるような気がします。だから、男の人は、「介護なんて大したことない」と思うようになるのです。
我家も最近ではそんな感じでした。
なので、あの恐怖の4日間の「朝叩き起され事件」を夫にすべて委ねたことで、夫に介護の大変さを知ってもらったと言うわけです。
どれだけ嫁に頼ってきたか、それを知らしめないと男の人はわからないんです。
そのうえ、実子と違って嫁は所詮、他人。
遠慮していたのは最初の1年ほど。
それからは、やってもらって当たり前になり、いないとならない存在になり、ワガママ言いたい放題、甘え放題。
気が付けば、嫁は義親の権限のない「親的存在」になっているというわけ。
だから、私は「5年が限界」って言うんです。
私はこの2月に10年目に入ります。
最後の3年ほどは、「プチ家出」あり「家庭内別居」ありで、私も結構あがきましたね。(笑)
今、二人だけの生活になって、思ったより仲が良くなったのに笑っちゃいます。
やっぱり夫も心の中ではこの状況を望んでいたんだと思います。
きっとナニサマの存在が、夫婦のきずなをより強いものにしてくれたのかもしれません。
1つの敵に対して、結束せざるを得なかった、ということでしょうか。(笑)
Source: 鬼嫁介護日記