介護支援専門員の未来を語ろう
かねてより僕は、「ケアマネ不要論を唱えている国の関係者はいない!!」と主張してきた。
ケアマネ不要論なるものを口にしているのは、国関係者と直接話し合いもしたことがない介護支援専門員であり、特に日本介護支援専門員協会の会員(執行部に籍を置く人である場合が多い!!)がそのような幻の不要論を唱えている。
介護支援専門員の資格更新研修等で、講師役を務める協会会員が講義の最中に、「こんなことをしていると介護支援専門員という資格は無くなりますよ」と根拠のない脅しを行っているのが、ケアマネ不要論の実態である。それは人を教える資質のない人間の単なる「こけおどし」でしかない。
そんな意味のない情報伝達しかできない講師は、壇上を去れと言いたくなる。
このことに関連して、僕も連載記事を書いているシルバー産業新聞の、1月10日付の一面を飾っている新連載の中で、国際医療福祉大学大学院の石山麗子准教授が次のように述べている。
『「ケアマネジャーの資格はなくなるのですか」。私が厚生労働省の介護支援専門官をしていた頃から現在も頻繁に受ける質問だ。結論から言えば私の答えは「NO」である。』
このような見解を示したうえで、ケアマネジャーの資格がなくなるかのような話が出る理由として次の2点を挙げている。
①社会保障審議会など公の場でケアマネジャーの資質議論が繰り返され、その中にはケアマネジャーの批判だけではなく、否定ともとれる意見が混じっていること
②社会情勢が第四次産業革命と言われる方向に向かい、IOTやICT技術が徐々に導入され、AIの研究も進んでいる中で、ケアマネジャーの仕事がそれにとって代わられるのではないかと思う人もいること
①については、「こんなにも公の場で批判し続けられる職種が他にあるだろうか。」と問いかけたうえで、そのことを悲観する必要はなく、批判や指摘は「ケアマネジャーへの期待」であるとしている。そしてケアマネジャーは、批判や指摘を否定と捉えるのではなく、それをバネとして、それを糧として未来を切り開く底力を持つ必要性を訴えている。
さて、石山さんの②の見解については、その通りだと思う。その考え方は僕が1/15に書いた「AIによるケアプラン作成を否定する人は、何を恐れているのだろうか。」で書いた内容にも通ずる考え方なので、是非そちらも参照願いたい。
しかし石山さんの①に対する見解について、僕は別の視点から考えなければならないと思っている。ケアマネ批判の本質は、石山さんが言うほど優しい理由ではないし、その批判が「期待」の裏返しであるとか、「期待」に通じるものであると考えるのは甘い分析と言わざるを得ない。
ケアマネ批判の本質とは、介護支援専門員という資格を創ってやったのは、「俺たち・私たち」だという、厚労省官僚の思い込みによるものだ。介護支援専門員という資格は、国が作ってやった資格であるのだから、国が考えた通りになれ!!という思いに端を発した問題なのである。
医師や看護師は、資格以前に医師業務や看護業務が存在していて、それを専門に行う人がいた。資格はそれに対して後付けで創られたのだ。国がその仕事ができる人を資格者として認め、その資格による業務独占権を認めたのは、先に技術と技術者が存在していたからである。
しかしソーシャルワークの一技術でしかないケアマネジメントを専門にして、生活の糧を得ている人間などいなかった。そうした状況で、その技術を中心にして報酬を得られる仕組みを作り、その業務を担う、「介護支援専門員」という資格を新たに国が創設したわけである。
資格の前に技術があり、技術者がいた医師や看護資格とは、この根底が異なっているわけである。特に居宅介護支援事業所という組織は、そこで行うべき業務の仕組みを含めて、すべて国が設計して世に産み落としたものであるという考えが強い。
だから国は介護支援専門員の技術展開をするステージも、「国が与えてやったもの」として、ケアマネジメントの向かう方向も、国が見据えた方向と同じでないと気に入らないわけである。その方向に向かうように批判の矛先を向けるわけである。
資格を作ってやったから、その方向に技術を向かわせようとして、専門技術への介入という、医師や看護師に対してはできないことを、介護支援専門員に対してだけは行うことができると考えているわけである。
そうした考えが根底にある中で、厚労省が考えている通りにケアマネジメントが機能して、給付調整(その実態は給付制限・給付抑制だが)の役割を果たしていないという思いが、ケアマネへの批判につながっていることに他ならないのである。
だから常に介護支援専門員は糾弾されるのである。優れたスキルの介護支援専門員が何人いたとしても、その人の仕事ぶりが国の意に沿わないとレッテル針がされた場合、国はそのマネジメントの仕方はけしからん、として批判の矛先を介護支援専門員という資格に向け、ケアマネジメント技術に介入しようとするわけである。それが「ケアマネジメントのあり方委員会」等の実態である。それは「期待」とは別な次元での批判と言ってよいものだ。
そして自分たちが批判できる、「作ってやった資格」であるからこそ、そのありようを変えることは欲しても、その資格を失くすことまでは国も役人も欲していないというのが実態である。
だがいくら介護支援専門員を被告席に立たせて糾弾しようとしても、地域の福祉の底辺は、介護支援専門員の存在により確実に引き上げられているという実態があり、介護支援専門員は既に要介護高齢者にとってなくてはならない介護支援者であるという事実の前で、その批判は先細っているのが実態である。その批判は、介護支援専門員全体向けることが難しくなり、あり方委員会の結論も、個人の資質の差を埋めようという内容で、お茶を濁して終わらねばならなかったのである。
それだけ頑張っている介護支援専門員は、全国各地にたくさん存在しており、その人たちは「いなくなっては困る」存在だということなのだ。
このように地域で活躍する有能な介護支援専門員の存在は、国も認めるところで、そもそも前述したように、その資格を失くしてしまうような考え方は、国としてもさらさらないわけである。だから実体のない「ケアマネ不要論」という脅し文句におびえる必要はないし、そのようなことを口にする講師に対しては、受講席からその根拠を問いただす声を挙げるべきである。そもそもそんな不要論は存在しないので、根拠など示すことはできないのは目に見えているのだから、その時は大いにそのような脅しに抗議していただきたい。
僕は介護支援専門員として様々なステージで活躍する皆さんの応援団として、その地位の向上のためのお手伝いをする存在でありたいと願っている。
その活動の一つは、介護支援専門の皆さんに最新の情報をわかりやすく伝えながら、介護支援専門員の皆さんが元気になれるお話をすることである。
来る1月29日(火)13:30~17:00、松戸市市民会館(千葉県松戸市)で行われる、松戸市明2西・明2東・東部包括共催・介護支援専門員資質向上研修でも、そうしたお話をしようと思っている。
当日は90分の講演が2本予定されておりテーマは、『(講演Ⅰ)最期まで自分らしく住み慣れたまちで暮らしていくために~今さら聞けない、地域包括ケアシステム~』・『(講演Ⅱ)介護保険制度の今後の展望~介護支援専門員に求められることとは~』としている。
誰でも無料で参加できるオープンセミナーであり、講演名に張り付いたリンク先から問い合わせと申し込みができるので、お近くの方は是非会場にお越しいただきたい。
松戸で介護支援専門員の未来について語り合いましょう。
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Source: masaの介護福祉情報裏板