看取介護の本質

先々週の土曜日から始まった旅を終え、僕は今、関西空港から旅立って北海道に戻ろうとしている。

東京~千葉県松戸市~愛知県碧南市~安城市~名古屋市~大阪市の旅は、いつものことながら素敵な出会いと再会の旅でもあった。世に財産と呼ばれるものは数あれど、人とのつながりに勝る財産はないし、そのつながりは、「見えない絆」によって繋がれているからこそ、決して消えない繋がりでもある。

そんな繋がりの中で、旅の途中で続々と講演依頼のメールや、口頭での依頼をいただいた。年度末の予算執行や、来年度の事業計画に取り掛かる中で、この時期に研修予定が追加されたり、来年度の予定が早々と決まったりしているのかもしれないが、そのような依頼をいただくことができるのも日ごろの繋がりのおかげである。

改めて人は人とのつながりの中で生かされているのだと思う。僕だけでできることは何もない。

旅の途中なので、「masaの講演予定」はまだ更新しておらず、家に着いてから更新アップしようと思うが、具体的には6講演の予定が新たに入り、そのほかに4講演が調整中である。僕を必要として呼んでくださる方が、全国にこんなにもたくさんいることに、この場を借りて感謝を申し上げたい。

さて今回の旅は、6地域で8講演を行ってきたが、そのテーマも制度改正・報酬改定の内容を精査して先を読むものや、介護支援専門員の役割に関するもの、介護実務に関するものや、サービスマナーなど多彩な内容となっている。

こうした広いテーマを話すことができる理由は、僕自身が相談援助業務や管理職として、様々な介護事業に携わってきた経験があるからであり、そこでの実践が利用者や家族や、地域の住民の皆様に評価されてきたという実績があるからだ。そこで語っているのは、結果責任をきちんと意識した実践論であり、机上の空論など一切入っていないのである。

そんな中旅の初めの東京講演と、旅の終わりの名古屋と大阪の講演は、日総研出版社主催・看取り介護セミナーの5時間講演であった。

決して安くないセミナー受講料金を支払って、5時間という長時間のセミナーに参加してくれた皆様には、それに見合った実践方法を、心を込めて伝えたつもりである。決して5時間という時間の長さを感じさせないように、無駄な内容は一切入れずに話をさせていただいたつもりでもある。

今回の受講者の中にも、「看取り介護を実践したいと思うが、上司や同僚等の賛同を得られずに、それが行えていない。」という現状を訴える人がいた。どうしたらそれを変えられるのかと相談される人もいた。

看取り介護が特別なケアでないことを同僚にも伝え、それを理解してもらう人を一人ずつ増やしながら、現場の大きな声としてそれを高め、上司に訴え出ることが唯一無二の手段だろうと思う。できればその過程で、同僚や上司が、僕の看取り介護セミナーを受講していただきく機会が持つことができるのならば、その人たちの意識を劇的に変えることができるのにと思ったりした。

特養や老健で、看取り介護・ターミナルケアを実施していない施設の場合、主松木になった際に、併設や関連機関である、療養型医療施設や一般医療機関に機械的に送るということが常態化しているそうだ。それは終末期となった利用者のニーズを一切顧みずに、暮らしの場から死に場所へ向かわせているだけの居場所変更に過ぎず、棺桶に順送りするシステムに胡坐をかいて、人生の最後を過ごす人の意思も希望も、すべてを顧みないシステムに過ぎない。

そもそも特養で看取り介護ができない理由は何だろう。これは看護ではなく介護である。タームなるケアは、「ケア」である。

看取り介護対象者とは、無理な点滴で体を溶かしながら、足をぱんぱんに腫らせてい苦しくいり続けないようにおこなうじきがあって、基本的に点滴など必要がない介護のことだ。だからといって看取り介護対象者は、のどが渇くこともないし、脱水によって苦しむことがないのが終末期である。

口から栄養を摂取できなくなって、その状態が回復不能と判断された際に、経管栄養を行って心臓の強制鼓動を持続的に促すことで、対象者を苦しめることがないように、自然死を阻害する経管栄養を行わないのが看取り介護である。

そこでは栄養補給という部分で、医療行為も特定医療行為も必要なくなる。なぜそうした時期の対応が、医療機関でなければならないと考えるのだろう。

急死する人と、看取り介護の結果死を迎える人の、死の直前までの支援方法に大きな違いはない。どんな人であっても、日常的に人としての尊厳が守られ、身体の清潔を保持し、安楽過ごす支援方法に違いがあるわけがない。

そうであるにも関わらず、命の期限がある程度予想できるというだけで、どこかほかの場所に順送りせねばならないと考えるのはどうかしている。

むしろ命の期限が予測されるからこそ、その時間を大切にしたお別れができるのだ。その中で思い出が生まれるのだ。そうしたエピソードを創る機会を設けることが看取り介護の本質だ。その場所とは、暮らしの継続性がある場所に越したことはない。それを強制的に途切れさせる行為が、看取り介護を決めつけて、別に機関に送る施設のシステムである。

それは看取り介護期間中に生まれる様々なエピソードに触れて、職員は成長する機会も奪うことであるし、介護の本質に触れて、介護の仕事を一生の仕事に生とする人々のモチベーションアップの機会を奪うものでもある。そういう機会を失う施設は、職員の定着率も低下するだろう。
日総研セミナー日程
そうしたことを伝える、「看取り介護セミナー・すべての介護関係者に求められる生きるを支える看取り介護」はとうとう、残すところあと2会場になった。

3月16日(土)は福岡商工会議所で、3月17日(日)は岡山市の福武ジョリービルで、今年度最後のセミナーを行うので、お近くの方はぜひ会場までお越しいただきたい。

看取り介護の本質に触れ、それを実現する具体論を学べる機会であるので、是非この機会を逃さないでください。魂の叫びを伝えます。

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Source: masaの介護福祉情報裏板