介護から離れて・・・”優しく出来ないわけじゃない"(-""-)"”

1年前のブログに何気に目を通す。

 

介護生活にも行き詰まりを感じ始めていたころだろう。

どうやったら、この苦痛な介護を、せめて嫌悪を覚えずにやることが出来ないだろうかと模索していたころと思われる。

 

いろいろヒントを得ては、気持ちを奮い立たせていたんだろうと思うが、なんせ相手がいること。それも一筋縄ではいかない高齢者。

何度同じことを言い聞かせても、スルー。

ナニサマとて同じ。

「わかったわね」と言った舌の根も乾かないうちに、また同じことを繰り返す毎日。

彼らにはもはや反省はない。

相手を慮る優しさとてない。

嫁は家政婦ではない、介護職員でもない、もちろん僕(しもべ)でも奴隷でもない。

なのに、どうして、嫁に言えば何でもやってもらえる、やってもらって当たり前的発想が起こるのだろうか。

 

今どき3食昼寝付きの嫁なんていませんよ。

丈夫で元気であれば、たいていの女性は外で働いている。

 

姑たち義両親が大きな顔が出来るのは、自分が産んで育てた実子だけだ。産みの恩、育ての恩があるとすれば、それは実子に向けられたものだけだ。

 

今どきの嫁は学問をつけてもらっているし、そこそこ社会で活躍している女性だって多い。

結婚したからといって、家庭に納まっている嫁はどのくらいいるだろうか。たとえいたとしても、毎日の家事労働、育児を考えるとそれにまたプラスして義両親の面倒を見れなんて、普通の神経では言えないはず。

外で働いている旦那がどれほどエライっていうのか。

その旦那だって、嫁さんが家事一般をやってくれているから、美味しいご飯も食べられるし、きれいなお部屋で寛ぐことだって出来るし、清潔なお布団で寝れるんじゃないですか。

 

あるとき、ラジオでそんな話をしていた時があった。

昔「女性は妻であり、母であり、嫁であり、女である」と。

これはざっくりとした抽象的な言い方だが、

要は女性は、さらに家政婦にもなるし子供の家庭教師にもなる、カウンセラーにもなるし、介護士にもなる。時として看護師にもなれる、と。

これらすべての労働を換算すると、月給軽く50万は少ない方だと。

 

何が言いたいかと言うと、ジジババ諸君!

嫁をたやすくこき使うなってことだ。

嫁と暮らしたいなら、ここは100歩譲って嫁の言うことに従うべし。

でないと、寂しい老後しかないのだ。

Source: 鬼嫁介護日記