人の幸せってどう思う?

長かった介護生活に終止符が打たれ、ようやく心身解放された我身であるが、まだまだ在宅介護で頑張っておられる嫁様はたくさんおられるわけで、そんな中で「幸せオーラ」を全開させている私はいかがなものかと。

 

以前ブログ上で仲良くさせて頂いているブロガーさんが、一人、二人と介護生活を終えられた旨の報告ブログを載せておられた時、「本当に良かった」と思う気持ちと「なんで私だけ」と、介護を終えられたブロガーさんを妬ましく思ったこともありました。

 

このブログで毒吐いて7年。

おかげで病気になることなく、ここまでやってこられたわけです。

めでたいことまでも記事にしても、心優しいブロ友さんはお祝いコメントを下さり、本当にブログのお陰で今、私は元気でおられます。

 

でも、中には

「この人、苦労しているから応援してあげよう」

と思っていた方もおられると思います。

でも、その人がその苦労から解放され、幸せな毎日を過ごしているのを知ると、

「な~んだ、幸せいっぱいになってんじゃん」

と、心離れていく人もおられるだろうと思います。

それはそれで、仕方ないことかと思います。

 

ブロ友さんに、ご自身の子供さんもお孫さんもたくさんおられる方がおります。最後の独身だったお嬢さんも、めでたく結婚が決まり、その方はようやく肩の荷が降りたとおっしゃっておりました。

 

亡くなられるまで、姑さんとも同居され、苦労の日々もおありだったことかと思います。

 

遠い外国に嫁いだお嬢さんのところに一人、訪ねて旅行し、ご本人はバイタリティーに溢れる方です。

 

そんなブロ友さん、やはり職場でやっかみを言われたようです。

 

人って、その人の苦労話は喜んで?聞いてくれるけど、幸せな話ってあまり気持ちよく聞いてくれない人の方が多いような気がします。

自慢話にも聞こえるのかもしれません。

難しいところですよね。

 

下重暁子さんが『家族という病』という本の中で、

「家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り」

と切っておられた。

 

彼女の家族観は独特なものがあると感じた。

 

私はその言葉に一瞬たじろいたことがある。

確かに、私に年賀状をくれる学生時代の友達で、未婚を通している人が何人かいる。

彼女たちは、表面上屈託なく

「makochanもすっかりおばあちゃんね。お孫さん、可愛い」

と年賀状に書いてきてくれる。

 

孫に囲まれた私の近況写真を見て、彼女たちはどう思っているのだろうかなんて、考えたことはなかった。

 

そして、今、私は開き直ったのです。

 

自分の主張を、相手の気ばかりに捉われて封じ込むのは止めようと。

相手が判断することだと。

こんな幸せ満面な友達の顔を見たくないと思ったら、もう年賀状をよこさなければいいんだって。

それこそ切り捨ててくださって結構。

私は、写真入りの年賀状を頂くと

「へー、もうこんなに子供さん、大きくなったんだ」

「あらま、お互い老けたわねえ(笑)」

などと、楽しみながら見ている。

それこそ個人の自由なんだから、自分は自分と思うようにしている。

 

先のブロ友さんも、きっと幸せオーラを漂わせているブロ友さんをやっかんでの嫌味の一つだったんだと思います。

そんなの気にすることはないと私は思っています。

 

ただ、やみくもに幸せ話をするのではなく、相手の状況や様子も理解しながら話す謙虚さは必要だと思います。

 

 

女子会での私の「介護トーク」は人気でした。(笑)

みんな「うわ~、大変!」なんて言いながら、どこかで私の方がまだ幸せだわと安堵している気持ちもあるんだと思います。

それでいいんです。

幸せな時ほど、「不幸せな話」をして、帳尻合わせるんです。

 

他人の不幸は蜜の味

 

って、言いますもん。

「他人の幸福を妬む」のは人間の本性。(笑)

 

開き直りましょう。

Source: 鬼嫁介護日記