介護を終えて思ったこと
ほんの数カ月前まで、毎日毎日姑の介護に追われ、出口の見えない介護生活を呪い、解放されたらどんなにか人生バラ色だろうかと、そのことだけを支えに頑張ってきたように思う。
そして、その夢叶い、今、バラ色の毎日を過ごしている。
姑の私を呼ぶ声が聞こえなくなっただけで、どんなにか幸せか。
たまに、今でも施設を訪れると、もう何も頼むことなんてないはずなのに、やはり反射神経のように私の名を呼ぶ姑。
きっとこれも姑あるあるなんでしょうねえ。
私がここで愚痴を吐くと、ブロ友さんたちからのコメントに必ずと言っていいほど同じことがあるって書いてくれます。
ずいぶんそういったコメントに救われました。
あゝ、同居嫁さんや介護嫁さんはみんな私と同じように苦労しながら毎日を乗り切っているんだなって。
嫁姑問題なんて永遠の課題ではないですか。
昔からずーっと続いているわけです。
私の両親も、新婚当時一時父の実家で暮らしたことがあるそうです。
父の言によると、祖母が毎日早く起きては、嫁が起きてこないと言って台所で聞こえよがしにくどくんだそうだ。(笑)
若い時は眠いんです。
父は母大事な人だったので、すぐに家を飛び出したそうです。
なんだか私たち夫婦によく似てる。(笑)
だから、結婚するなら長男はゼッタイ嫌だと決めていた。(笑)
60年代、流行った言葉がありますよね。
家付き・カー付き・ババ抜き
旦那を選ぶなら、まずはこれが好条件って。
これって現代でも充分生きている言葉ですよね。(笑)
なのに、なぜ・・・・・・くくく。
しかも一度失敗しているにもかかわらず二度までも・・・トホホ。
反省だとか思いやりだとか、そういうものは歳と共にどんどん薄れていくものなんです。年寄りに期待する方が間違ってます。
そこにあるのは「自分ファースト」。
つまり自分さえよければそれでよしというただのワガママでしかない。
どんなに賢い女性であっても、やはり経験を積まないと人間関係の機微は培われないってことです。
私だって息子夫婦と同居してうまくいくかって言われたら自信ないです。だから、自分たちの老後は自分たちでみる。
どちらかがダメになったら、姉でもいい、友達でもいい、シェアハウスでもして、お互い干渉せず一日一回顔を合わせる時間を設けて、生存を確かめ合う。(笑)
あれ?終活はまだしないんじゃなかったの?
どの口が言う?あはは。
Source: 鬼嫁介護日記