介護保険からの卒業を目標としてよいのか

先週末、大分県大分市のコンパルホールという会場で、『揺らぐ介護理念 ~介護とは何か?』とテーマで講演を行なった。その研修の受講対象者の約7割は介護支援専門員ということであった。

大分市個別ケア研究会そのためその日の講演では、介護保険制度改正と報酬改定の解説を行ったうえで、そこから読み取ることができる今後の制度の方向性を示しながら、各関係者の役割やケアマネジメントや介護支援の在り方を示した。2021年の報酬改定後に本格導入される予定の、「自立支援介護」についても解説してきた。

もともと大分県は和光市と並んで、「自立支援介護」の先進地と呼ばれている。つまり県が先頭となって、旗振り役を務めながら自立支援介護を目指しているわけである。

しかしそこでは、要介護者等が権利として利用できるはずである「介護保険制度からの卒業」などという訳のわからないスローガンが掲げられ、保険給付サービスを使わないことが自立であるという刷り込みが行われている。

本当にそれが目指すべき自立支援だろうか。なるほど介護保険法を読めば、介護支援の目的として、国民の福祉の増進の具体的状況が「自立して日常生活を営むこと」であると規定している。しかしそれは「その有する能力に応じた自立支援」であるという条件が付けられている。そうであればその能力とは、ケアマネジメントによって測定し導き出す以外にないはずである。そしてそこには介護サービスを利用しないことが自立であるなどとは一言も書かれていない。

そうであるにも関わらず、ケアマネジメントの結果が出る前に、アセスメントを無視して目標を、「介護保険制度からの卒業=保険給付サービスを使わない状態にすることが自立」としてしまうと何が起きるだろう。

そのような目標がまずありきの場所では、サービスを数多く利用する人がダメな人であるとか、怠け者であるとかいうレッテルが貼られてしまう恐れがある。それは心身の状態が低下した人に対する差別でしかない。

そもそも図分で何もかもができることを自立支援と考え、そのことを唯一の価値とする人は、人の助力を余計なもの=「」と考えるのだろうか?

例えば和光市のように財源が豊かで、介護保険制度外の社会資源が豊富にあるところならば、介護更新認定で非該当とされ、介護保険制度から卒業させられて介護給付サービスが使えなくなっても、保険外サービスを利用することで、暮らしが支えられる人は多いのかもしれない。しかしその和光市で、介護保険制度から卒業させられた人の1割近くが、その後全額自己負担で、非該当認定を受ける前と同じサービスを使っているという調査結果も示されている。そんなの自立支援ではなく、単なる給付抑制でしかない。

北海道の郡部を見ると、介護保険制度以外のサービスはほとんど見つからない町村も多い。その人たちにとって介護保険サービスは命綱である。命綱を切ることが自立支援だというなら、それはずいぶんと乱暴な概念である。

大分市では全県を挙げて、介護保険制度からの卒業に取り組むわけであるが、そこでは都市部・郡部に関係なく同じように県が提唱する自立支援が求められているわけである。そこに危うさは存在しないのだろうか。

勿論、身体機能が向上して、介護保険サービスをつかわなくなる目標を立ててはならないということではないし、そういう目標がモチベーションになって、頑張ることができる人がいることを否定しない。しかしそれも個別に考えるべき問題であり、官庁が目標を定めるのはどうかしている。それは行政計画にとどめてほしいものだ。

個人の生活課題を解決するための目標には、暮らしぶりに沿った多様性こそが必要なのである。少なくとも介護更新認定で、「非該当」とされた人に卒業証書を出すなんて行為はあってはならない。それは高齢者を馬鹿なした行為であり、緩やかな権利のはく奪ともいえる行為である。

大分市個別ケア研究会3月9日に大分市で行った講演では、そうした思いを込めてケアプラン作成時に考えるべき「自立支援」の考え方を述べてきた。当然そこでは、ICFやポジティブプランの概念も示してきた。具体的なサービス内容を示したうえで、財務省がやり玉に挙げた1月100回を超えた生活援助の計画を組み込んだ居宅サービス計画(北海道標茶町の居宅介護支援事業所の計画)が過剰サービスではなく、適切なサービスであることをも示してきた。

僕の個人的な価値観の押し付けにならないように、できるだけわかりやすくお話ししたつもりであるが、受講者の皆様に理解いただけただろうか。

大分県では、課題整理統括表の勉強会も盛んにおこなわれているそうであるが、あの表ができた経緯と、あの表の活用法を本当に理解できる研修が行われているだろうか。

課題整理統括表は、平成27年度の報酬改定議論に先駆けて行われた、「介護支援専門員の資質向上と今後のあり方の関する検討会」の議論の中で、「主治医意見書に医療ニーズに関する課題の記載があるにもかかわらず、ケアプランの第2表に整理された段階では医療に関わる課題が抜け落ちてしまっている事例が多く見られた。」とか、「要介護となった主な原因疾患は把握できているが、生活全般の解決すべき課題(ニーズ)の原因と結び付けて記述する欄がない。そのため、課題の欄に原因を記述していたり、要因を記載していなかったりする事例が多く見られた。」という批判を受けて、ケアプラン標準様式を変更してはどうかという議論の流れの中で生まれた新書式である。

しかしその後の議論で、従前からのアセスメントツールや居宅サービス計画書の標準様式を活用して、きちんとニーズを引き出し、適切なマネジメントを行っている介護支援専門員がたくさんいることが明らかになった。よって抽出された問題点は、結局は個人の資質差に起因する問題で、書式の問題ではないと結論付けられた。

そのため頑張っている介護支援専門員にさらに義務書式を課すナンセンスな改悪は行ってはならないという結論の中で、居宅サービス計画の標準様式の変更など、介護支援専門員の負担を増やすことにつながる変更は行わないことになった。

ところが既に課題整理総括表と評価表は、お金と時間をかけて様式が作成されてしまっていた。それを無しにするわけにもいかなくなり、宙ぶらりんの状態になってしまったのである。そのため結局はその2書式については、地域包括支援センターや法定研修を中心に活用するだけにとどめたものである。つまり使い道はそれしかなかったわけである。

ということで課題整理総括表は、アセスメントの根拠を確認するための活用書式という位置づけであり、それで根拠を確認しなくても論点整理ができている介護支援専門員は使わなくともよい書式なのである。そんな書式の記入方法を大々的に教える研修会など、県を挙げて行う必要性なんか本来はないのである。

よって地域全体で、すべての介護支援専門員にその様式活用を求めることはナンセンスであり、無意味である。記入方法を教えてその書式を埋めることができる介護支援専門員を増やしても意味がない。そんな研修を受けても、それをアセスメントの根拠として活用できないケアマネが存在するのは喜劇でしかない。大分県の課題整理総括表に関する研修会とは、この本質的問題を解決できているのだろうか?受講者の話を聴くと、どうもそうではない気がしてならない。

そもそも自立の概念が問題である。それはなんでも自力でできることではないはずである。介護保険の給付ルールも、対象者も家族も頑張り続けなければならない方向に向かうのはおかしい。介護の社会化とは、要介護者の家族のレスパイトケアを広く認めながら、頑張りすぎないようにみんなで手を貸し支える制度ではなかったの。

自律とは、人に頼る、委ねるという選択権を持つことを意味し、人間が支えあう社会・共立をも意味する。本来制度が目指すべきは、この自律支援ではないかと僕は考える。

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Source: masaの介護福祉情報裏板