どこまでいっても姑が追いかけてくる

昨年の10月末に急遽の入院をしたナニサマ。

そして2カ月の入院生活を終えて、そのままショートへのロングステイとなったナニサマ。

あとは、頼んである施設の空きを待つのみ。

もう二度と、家に戻ってくることはないだろう。

 

介護ベッドも車椅子ももう家にはない。

帰ってこれる家はないということだ。

 

ここまで来るのに10年。

 

短かったなどと思ったことは一度もない。

ようやく・・・という思いだけだ。

 

初期のころは介護サービスもよくわかっていなくて、ずいぶん自分たちだけで無理なこともこなしてきたが、後半は上手に活かし、苦労した入浴介助も卒業でき、ショートを利用して旅行等を楽しむこともできるようになった。

 

そうやって解放感を味わうことが出来たとはいえ、終わってしまえばまた現実が待っているわけで、ストレスフルな生活にまた戻っていくというわけだ。

 

そう、在宅介護が続く限り、ナニサマから解放されることなんかないわけで、どこまでいってもナニサマはついてくるのだ。

それは、ハッキリ言って「心の闇」である。

 

逃げ出せばいいというかもしれない。

逃げ出すことでまた他の代償を払わなければならなくなる。

そう思うと、あと少しだから、と自分に言い聞かせ奮い立たせるしかないのだ。

いけないこととわかってはいても、いつのまにか姑の寿命を計算している自分がいる。

 

確かにお陰様で、鬱になることなく健康に毎日の生活を送れたことが出来たが、これはある意味奇跡だと思えてくる。

何度も危機はあった。

このまま家を出て、どこか住み込みで働くところを見つけ、静かに孤独に生きていこうかと思ったことがある。

これって充分病んでるよね。(笑)

 

おかげで私には子供たちがいて、孫がいて、友達がいて、姉がいた。

 

この人たちのことを思い浮かべると、また頑張ろうという気になった。

 

そんな繰り返しだったかもしれない。

 

どんなに一時的に離れることが出来ても、それは所詮その場しのぎ。

根本的な解決からは程遠いのだ。

 

今回、夫が決心してくれて、そしてナニサマも納得してくれて、在宅介護からようやく卒業することが出来たのは、やっぱり奇跡。(笑)

 

初めて心から解放感を味わうことが出来たのだ。

 

どこへ行っても、何をしても、帰らなくてはいけない、待っている人がいる、というのはプレッシャーである。

子供が待っている、亭主が待っている、ぐらいのプレッシャーなら、時として嬉しいプレッシャーかもしれない。

しかし介護を擁する嫌な思いでしかない義親が待っていると思うだけで、心はもはや半分以上、壊れかけ始めているといっても過言ではないでしょう。

 

楽しさを味わえば味わうほど、「どうして?なんで?」という気持ちが強くなるのは否めない。

 

同居や介護をしている嫁様たちの中には、出口の見えない暗いトンネルの中でそう叫んでいる人が何人もいるのではないでしょうか。

 

義親の寿命が先か、嫁の心の寿命が先か、救えるのはやっぱり旦那しかいないんだよね。

嫁はね、そうはいっても随分と我慢強い生物だから、ね。

見極めないと手遅れになっちゃう、よ。

Source: 鬼嫁介護日記