「母の日」狂騒曲も終わって・・・

随分前から、ナニサマにプレゼントするのも面倒くさくなってきていた私です。

嫁に来てから、ナニサマにプレゼントしなかったことがなかったのに、です。

ブロ友さんの中には、「そんなこと、とうに辞めた」と公言なさっていた方もいらっしゃいます。

それでも、長年の習慣を変えることってなかなか出来ないし、何より夫が、してもらって当たり前的風なので、ないと言えば「え?なんで?」と言うに決まっています。

それも面倒くさいな~と、思いながらの今年の「母の日」。

 

それでも、前日までは店頭にカーネーションの鉢がズラーッと並んでいたにもかかわらず、当日はなんだか寂しい雰囲気。

寿司やお惣菜コーナーに行っても、それほどお得感なかったし、魚屋もこれといった特別感なかったし、まあ、こんなものか。

 

まるで私の今の気持ちを反映しているかのよう。(笑)

 

確かにこれ以上、荷物を増やすのもなんなんで、入所が決まるまではなるべく買わないようにしたいというのが本音。

 

今日、ケアマネさんから電話があった。

計画書の確認だそうで、月末にまたナニサマのところで会うこととなりました。

 

「相談員さんのお話ですと、足の浮腫みがなかなか引かないということ以外は、お変わりなくお過ごしですとのことでした」

との報告。

昨日行ってきたから、知ってるって。(笑)

 

今思うと、ナニサマにとって在宅時代のいいところは、デイに行けたことだったかもしれないな、と。

 

一日の生活の中で、変化があるということは大事なことかもしれない。

 

今は、穏やかな日々とはいえ、何の変化もないただ淡々とした生活だろうから。

いつも数名の利用者がおられるので、話すこともあるだろうけど、耳が遠いナニサマにはツライところかもしれない。

 

デイに行っていた時は、お風呂も毎日入れたし、リハビリも出来たし、こんなナニサマでも友達になってくれた人もいたようなので、そういう意味では、今の生活は必ずしも満足がいくものではないことは想像つきます。

 

94になったナニサマは、夫から

「誕生日おめでとう」

と言われても、少しも嬉しそうではなく、

「いつまで生きるんかねえ」

と、憎まれ口叩くのみです。

腹立ったから

「言ったでしょ、人生100年の時代なんだから、まだまだ生きますよ!」

って言ってやった。

 

もう少し賢い人かと思ったけど、歳を取ったら人にやってもらうことしか考えない、自分から何かしようという気持ちはゼロ。

本を読んだり、絵を描いたり、と、やろうと思えばやれることはあるはず。

こちらから何か言えば、言い訳ばかり。

 

「手が使えない」(右手は使えます)

「字を見ると、ボヤッとする」(新聞広げておりますがな)

 

少し歩く練習させてもらったら?と言えば

「とんでもない!歩けないし、歩かせてなんてもらえないわね」

 

ナニサマの口から出てくる言葉は。

 

「出来ない」

「やれない」

「やらせてもらえない」

 

という否定語ばかり。

 

傍にいるだけで、気持ちが暗くなるわ。

Source: 鬼嫁介護日記