タイミング
去年の今頃、私は何を考えていたのだろうかと、過去を振り返ってみた。いつまで続くかわからない姑の介護生活に暗澹とした毎日であったことは間違いない。
人生の転機と言うのは、突如として訪れる時がある。
娘になかなか子供が授からず、結婚して5年が過ぎたころ、私は無事、定年を迎え、仕事時間が半分になる再任用の生活に入った。
そんなとき、娘が妊娠した。
しかも血小板の少ない彼女は、妊娠したため貧血がひどくなり、仕事にも支障が出るようになった。
そんな娘の職場への送り迎えも何度かやった。
再任用になって、仕事も大幅に軽減し、有休も取りやすくなった。
早々に娘を引き取ることが出来たのも、人生のタイミングだった。
おかげで、娘は無事出産し、現在に至っている。
ナニサマの入所も、まさに突如の出来事であった。
去年の今頃には思いもつかないことだったわけだ。
「いつまで続くんだろう。
姑からは死の影なんか一つも感じない。
100歳どころか120歳まで生きそうな勢いだ。
私は、死ぬまで介護を続けなければいけないのだろうか」
これが1年前の私の気持ちだ。
ところが昨秋の突然の姑の機能の衰え。
レスパイト入院で、お互い救われるも、機能回復も望めないままの在宅介護となったら、間違いなく私は病むかもしれない、との危機感さえ抱いた時期だった。
「この状態で在宅介護は可能ですか?」
の夫の質問に、
「在宅に戻る方はおりませんね」
の包括ケア担当の看護師の言葉。
その時、私は「救われる~」と心で叫んだものです。
「神はいた!」
と本気で思ったのです。
人生にはタイミングというものがあるってことを学びました。
そのタイミングを決して見逃してはいけない、とも。
施設に入所すると、何でもやってもらえるので、ボケるだとか早く亡くなるだとか言われたりしますが、94まで生きて、何か不服ありますか?
なおかつ自分の人生を大事にしたいお年寄りならば、その中でどう生きたらいいのか自分でお考え下さいませ。
出来なければ、あと何年生きるかわかりませんが、穏やかに自分の人生を素直に受け入れて最期を迎えてほしいものです。
Source: 鬼嫁介護日記