僕の主張は、やっていること、やってきたことが最大の根拠。

今この日本に住んでいる人で、週2回しか入浴していない人がいったい何人いるだろうか?

そんな疑問が僕の中に兆したのことが、特養という介護施設での入浴支援の見直しを行うきっかけとなった。

僕自身は毎日お風呂に入るのが習慣化しているし、当時70歳代で元気だった僕の両親も毎日入浴していた。そもそも高齢者だからと言って、お風呂に入ることを面倒と思う人ばかりではないはずだ。

公衆浴場が街から消えて家風呂が一般化して久しい現代社会では、元気高齢者の方々は、自宅で毎日入浴している人が多いし、毎日入浴していない人でも、1日置きには入浴している人が多く、少なくともお元気な高齢者の方々が週2回しか入浴していないということはあまり考えられない。

そんな中で特養をはじめとした介護施設では、週2回しか入浴しない暮らしが当然とされ、入浴支援という面からみれば、週2回入浴支援しておればきちんと運営されている施設とみなされていた。

ということは入浴支援が必要な人が週に何回入浴できるかは、本人の意思とは関係なしに、介護支援を行う人の都合で決められているということでしかなかった。しかし利用者本位が介護サービスの基本というならば、その回数も利用者自身が決めることができなければならないという思いから、毎日入浴支援を行う特養のシステムを作り上げ、その中で利用者が週2回を最低基準として、それ以上の望む入浴回数を実現できるようにしたのが1999年のことであった。

その時期はちょうど介護保険制度創設の1年前であったが、僕が当時勤務していた特養は、50床の単独施設から、100床の特養+12床のショートと定員30人の通所介護を併設する施設に変わる時期だったため、職員も新たに多数雇用する時期と重なり、システム変更に伴う人員配置の見直しな等を行うためには、タイミングの良い時期でもあった。

それらの経緯や変更されたシステムについては、「発想が変われば暮らしが変わる」・「週2回の入浴という基準をどう考えるか」・「利用者本位を貫く先に生まれるもの」などを参照いただきたい。

こんな風に僕が総合施設長を務めていた特養では、僕が相談室長であった今から20年も前から入浴支援システムを大幅に変更し、毎日入浴できて、希望に応じて夜間入浴も可能な施設を実現していた。

だからこそ今、僕は講演等で、「これから団塊の世代の人たちが、介護施設の顧客としても主力になってきますが、それらの人たちは週2回しか入浴していない人はいませんよ。漫然と週2回の入浴支援をしておれば問題ないと考えている施設の方は、団塊の世代の人が入所したいと思える施設といえるでしょうか?その施設がいつまでも地域の皆さんから選ばれ、運営を続けられると思いますか?」と疑問を投げかけている。

それに対して、そうはいってもギリギリの人員配置で現場が回っている状態では、週2回以上の入浴支援なんてできないし、ましてや毎日入浴支援に人員を取られたら、ほかの仕事に支障が出て現場が回っていかないという反論や愚痴が聴こえてくる。

僕が言っていることが単なる理想論で、自分がそんな入浴支援を行ったこともなく、介護施設の実態を知らずに、「こうしなければならない」ということを語っているとすれば、それは机上の空論に過ぎないとして、その反論は成り立つだろう。

しかし僕は毎日入浴支援をしている特養に勤めいたという事実があり、かつそのシステムを作った当事者が僕自身であり、その施設は今現在もその支援を続けているという事実があることにおいて、「それはできない」というのは、できないほうに問題があるのであって、その問題を解決しようともせずに、現状を嘆いて容認するだけで終わっている愚痴を言う貴方自身に問題があるのではないかと強く警告したい。

入浴支援という大変な介護を、希望者数に応じて毎日支援するのは大変なことである。それは決して簡単なことではないのは、当事者である僕は十分すぎるほど理解している。しかし僕はそのことを実現してきたのである。そのためには知恵と工夫は当然必要になる。しかしその知恵と工夫は、現状ではだめなことを理解し、現状を変えなければならないという強い意志によって初めて生まれるものなのだ。

そうした認識を持たない人が、他人の実践論に対してとやかく言うなと言いたい。事実に追いつけない人はいったい誰なんだと言いたい。

人が足りないからできないという人は、なぜそこに人材が集まらないかを真剣に考えたほうが良い。介護人材不足といわれるの中でも、きちんと良い人材を集めてよいサービスを実現しているところもあるのだ。そうである中で、愚痴を言う人がいる施設では、人材どころか人員さえも不足しているのは、もしかしたら愚痴を言って体を動かさないあなたの存在が原因なのかもしれないのである。

一つ言えることは、どうでもよい人員しか働いていない事業者に、良い人材が偶然貼りつくなんてことはないってことだ。だから人が足りないと嘆く施設の職員は、その根本原因が何かということを考えねばならないのである。

僕は自分の講演で、「やっていること、やってきたこと。」しか語らない。それはやる気になれば、誰しもが真似できるという意味でもある。そんな実践論を語るために、今日は熊本県に向かう途中である。講演地は熊本県であるが、最寄り空港は鹿児島空港ということで、いま鹿児島への乗継便を待つために、羽田空港のさくらラウンジでこの記事を更新しているところだ。

今日は自宅の最寄りのバスターミナルから朝5:50発の高速バスを起点に移動しているが、現地入りした後19:00~21:00までの当日講演の予定が入っている。長い一日になるが、今日も実践に基づいた本物の介護について語ってきたいと思う。

しかしそれは達人にしかできない方法論ではなく、やる気になる人が、誰しもが実現できる方法論でしかない。

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Source: masaの介護福祉情報裏板