そこに「愛」はあるか?
大地真央のCMみたい。(笑)
前に、姑のクールさを書いたが、それはうちばかりではなく、結構姑あるあるだったようだ。
孫が可愛くないと思っている親もいることがわかった。
我家では私の父が、孫煩悩で3人の子供の面倒をよく見てくれた。
娘が歩くようになったころには、職場が近いところにあったこともあって、昼休みに必ず娘の顔を見に来ていた。
義実家を家出して(笑)、そのころアパートに住んでいたのだが、毎日娘を近くの公園に遊ばせに連れて行っていた。
昼の食事をそそくさと済ませた父が、公園までよく迎えに来てくれた。
祖父の声がすると、娘は一目散に祖父の元に走って行って祖父に飛びついていった。
そして、さっさと祖父の車に乗って、アパートまで帰って行ったものだ。私はというと、娘の持ってきた砂場セットなどを片付けてから家に向かった。歩いても5分くらいのところではあったけど。
父は飛びついてくる孫娘が愛おしくてならなかったことだろう。
長男が生まれるというので、新築の家を買った。
そこでも、父は孫会いたさに、毎日のように通ってきた。
夕暮れになると、ぐずりだす長男を抱っこして、住宅街を散歩した。
なので、近所の人の中には、父と同居していると思った人もいたくらいだ。
次男がすぐに生まれたこともあって、長男をあまり抱いた記憶がない。
ほとんど父が子守してくれていたようなものだ。
次男が年中の時、ちょうど父が東京に転勤していた時だった。
東京ディズニーランドが出来たころだったろうか。
夏休みに私と3人の子供を呼んで、ディズニーランドに連れて行ってくれたことがあった。
その時も父は次男の世話をよくしてくれた。
帰り寝てしまった次男をずっとおんぶして父の住んでいるところへと帰ったことが忘れられない。
父を思い出すと、本当に感謝の一言しかない。
仕事が続けられたのも、父のお陰だった。
そんな父も亡くなって18年が経とうとしている。
次男が高校生になって、冬の通学が大変だから姑の家から通いたいと言ったことがあった。
姑はもう一人暮らしだった。
なので、次男が少しの間でも義実家にいてくれたら、姑も寂しくないだろうし、いい提案だと思った。
ところが、姑の返事は
NOだった!
これには家族全員が驚いた。
理由は、男の子の食事の支度が大変だからというもの。
姑は70を少し超えたくらいではないだろうか。
一人暮らしが長くなっていたから、面倒くさくなっていたのかもしれない。それにしても、孫一人ぐらいのご飯、作れないか?
そのあたりから、私の姑を見る目がさらにきついものになってきていた。
この人に「愛」はあるのだろうか、と。
それはずっと続いていた。
それでも、介護しようと決心したときは、すべてをリセットしたつもりだった。
でも姑の性格なんて変わらないよね。
よくやった10年だった、としか言いようがない。
Source: 鬼嫁介護日記