「怒り」の根源

在宅介護が終わって、ストレスが格段と減り、怒ることもそうなくなった。

介護しているときは、常に「怒りのスイッチ」が入り、ちょっとした姑の言葉で爆発していたものだ。(笑)

 

怒りの根源であった「姑の介護」がなくなり、夫ともそう喧嘩することもなくなった。全くないわけではないが。(笑)

 

そもそも「怒り」というのは、人間の生存になくてはならない原始的な感情なんだそうだ。

古事記に出てくる神様は、激しく怒った。

だからその「怒り」を鎮めるために、神を祀ったんだそうだ。

 

考えてみれば、政治だって「怒り」で左右されている。

「怒り」が票になるわけだから。

 

「怒り」があるから、人間、進歩してきたと言えるのかもしれない。

 

でも、怒るってエネルギーが要るよね。

怒った後って、すごい疲労感感じるものね。

どうかすると後悔することだってある。

それでも「怒り」は湧いてきたらどうすることも出来ない。

 

思うに、若いママってよく怒るよね。(笑)

四六時中怒っているような気がする。(笑)

 

先日も大手スーパーで、周りも顧みず、子供を叱っているママがいた。

その怒り方が、尋常じゃなかった。

オバサンからすると「ヒステリー」。

 

そして不思議なことに、そういうお母さんの子供ほど、怒られるのがわかっていて同じことをやる。(笑)

怒られることで、自分の方を見てくれているのを感じるのかもしれない。それは反対に快感につながっているのかもしれないって。

これは危険な兆候でもあるんだけどね。

怒られ慣れっていうやつです。

 

非行、不良の走りは、この怒られ慣れ。

怒られたって、叱られたって、何にも怖くない。

 

先日、友達のカフェでランチしていた時、店を手伝っている彼女の娘さんに、子供さんのことを聞いたら、

「私ね、怒ってばかりで、毎日イライラしている」

って言ってたので、みんなで

「怒っちゃダメ!」

って合唱してましたわ。(笑)

 

怒りを感じたら、どうしたらいいか。

 

・ゆっくり6秒数える

・落ち着く言葉を唱える

・大きく深呼吸する

 

ですって。

 

それでも現代は「怒れない社会」(宗教学者:島田裕巳)だという。

社会が豊かになり、家制度の重圧や社会的な縛りが少なくなったからだと。

しかし「逃げ道はいくらでもある」ことはいいけれど、グローバル化ですべてがつながり、個人の領域が狭まってくるのも確か。世界が安定を求める中、そうした社会に反抗できず、飼いならされていっている、という意見もある。

 

今のSNSはすごい。

誰かが一つ発信すると、それを巡っていろいろ叩かれることもある。

それが続くと、人間、言いたいこと、書きたいことも言えなくなるし、書けなくなる。

ここにはまだ中途半端な「怒り」が存在していると思う。

 

ともかく、穏やかな毎日に感謝するけれど、「怒り」はエネルギーを作ってくれるので、時々姑の面会に行ってエネルギーを養ってこようかとは思っています。(なんのこっちゃ)(;^ω^)

Source: 鬼嫁介護日記