それでも「認知症」になったら・・・
だれもがなりたくてなるわけではない。
出来れば回避したい。
でも歳を積み上げていけば、体力は劣る、気力も知力もいつのまにか衰え始めている。
耳も少しずつ聞こえにくくなる。
しゃべると滑舌も悪く、間違いなく舌がもつれている。
いやいや歳をとることに悲観的になるのはやめよう。
赤瀬川源平さんが書いていたではないか。
それらはすべて「老人力」のなせる業だと。
物忘れ、繰り言、溜息、ボケ、ヨイヨイ(死語かもね)、耄碌(これも死語だわね)といった現象には「老人力」という未知の力が潜んでいると言うことを。
ふつうは歳をとったとか、モーロクしたとか、あいつもだいぶボケたとかいうんだけど、そういう言葉の代りに、
「あいつもかなり老人力がついてきたな」
というふうにいうのである。
そうすると何だか、歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい。
この「老人力」が流行語となったのは1999年ごろというから、もう20年も前の話になるんだなと思うと、それもまたすごい。(笑)
昨日の日経の夕刊に
認知症「共生と予防」柱に
政府新大綱 成年後見を活用
とあった。
なにしろ団塊の世代がすべて75歳以上になる25年には、
認知症の人は約730万人に達し、
高齢者の5人に1人となる見込み。
暗くなるよねえ。
これからは予防と言うのは
「認知症にならない」
ではなく
「認知症になるのを遅らせる」
「認知症になっても進行を緩やかにする」
と定義することになるのだと言う。
認知症の発症や進行の仕組みを解明するために、科学的な証拠を収集し、予防・診断・治療法の研究開発を進めるんだそうだ。
今、「予防」に役立つと言われているのは
①運動不足の改善
②糖尿病や高血圧などの生活習慣病の予防
③社会参加による社会的孤立の解消や役割の保持
もう耳タコである。(笑)
特に③は、今最も注目されていることですね。
中高年の引き籠りってやつだ。
大綱は、高齢者が集える公民館などの「通いの場」の拡充を重要政策の1つに位置付けたそうだ。
我が地域にも「老人の家」(ネーミングが今の時代に合ってないよね)なるものがあって、毎週土曜日、賑わっている。
私たちバスケママの会合は、今ではここでばかりだ。(笑)
共生のために認知症本人からの発信の機会を増やすそうだ。
公共交通機関においても、認知症を含む高齢者への対応について義務化していくことのようだ。
成年後見制度の利用の促進も推し進めていくとのこと。
今朝も頑張って散歩したよ。(笑)
Source: 鬼嫁介護日記