安楽支援の基盤

今僕は、東京都品川区五反田の学研ビルに向かっている最中だ。

今日はそこで行われる株式会社学研ココファン・ケア品質向上大会に講師としてお招きを受けている。僕の講演は90分であるが、13:30~18:10まで行われる大会の全日程に参加し、職員の皆様の研究発表などを聴こうと思い、朝早い便に乗って北海道からこの時間までに駆けつけた次第である。

ただ搭乗便に遅れが出たため、予定時刻に到着するかは微妙な時間になってきたが、仮に遅れたとしても、大会自体には支障はない。開始時刻に間に合わせようとしているのは、あくまで僕の都合だからである。

介護の実務に携わっている人たちが、どのような思いを持ちながら、どんなふうに日々の業務に取り組んでいるかを知ることは、僕の活動にとても非常に重要になる。そういう意味では、今日のような機会は得難い貴重な機会であるといえる。

その大会の中で行う僕の講演は、看取り介護をテーマにしたものだ。
看取り介護講演
看取り介護とは、終末期を過ごす人々が安心と安楽な状態で過ごすためのケアである。それは日常介護の延長線上にあるもので、決して特別なケアではないが、看取り介護対象者が、本当に安楽に過ごせるために、必要な知識と技術はしっかり備え老いておかねばならない。

間違ってはならないことは、終末期だからといってずっとベッドに横たわり、安静にしなければならないとは限らないということだ。安楽とは、「安らか」であるに加えて、「楽しむ」ということも必要になる場合があるのだ。終末期にもバイタルが安静しているときには、活動参加機会があってもよいし、先日紹介したように、VRを利用した終末期支援があってもよい。

しかしいくら環境が整えられ、立派な機械・設備があろうと、それだけで人が安楽になることはない。本当に人が求める安楽とは、自分に思いを寄せてくれる誰かがそこに存在することだと思う。最期に残された時間であるからこそ、その限られた短い時間の中だからこそ、その関係性と愛情が求められるのだと思う。

人と人の間で刻んだ営みを思い、人としてこの世に生きてきた喜びを確かめるためにも、それは最も求められることなのだろうと思う。

逝かんとする人の傍らに、家族や親族がいない場合は、看取り介護に係る関係者が、その役割をしっかりと担う必要があると思う。逝かんとする人に、人間としての愛情を寄せ、手を握り、そのぬくもりを伝えることができるということが、看取り介護では最も重要なことなのかもしれない。

そのためには、介護支援に関わる関係者は、誰かの最期の瞬間に、「傍らにいることが許されるもの」となるために、日々の関係性づくりに努力を惜しんではならないのだと思う。

終末期支援の知識や技術もしっかり伝えてくるが、そうした思いも、同時に伝えることができる講演にする予定である。

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Source: masaの介護福祉情報裏板